sh_universe’s blog

広島県在住。メーカー研究職。1児の父。

『スター・ウォーズ / スカイウォーカーの夜明け』感想とか ※途中からネタバレあり

はじめに(ネタバレなしパート)

私のスター・ウォーズファンとしての立場

2015年12月からの4年間は,スター・ウォーズファンである自分としては特別な時間だった.2005年の『シスの復讐』からリアルタイムでスター・ウォーズを見始めた自分にとって,2015年12月公開の『フォースの覚醒』から『最後のジェダイ』『スカイウォーカーの夜明け』と続いた今回の3部作は,そのすべてを劇場で鑑賞することができたはじめてのシリーズだったからだ.しかし,それは決して心が躍るだけの時間ではなかった.

私個人がシリーズをどのような気持ちで観てきたか,などということは,本来はこのブログを読んでいただいている貴方には関係がない話なのだが,こと今回のスター・ウォーズの3部作については,過去のシリーズをどのような気持ちで観てきたか,新作に何を期待し,何をもって満足できるのか,によって,その見え方,感想が全く変わってきてしまうと実感した.

『スカイウォーカーの夜明け』ネタバレなし感想

 私は前作『最後のジェダイ』が,今回の3部作の中で取り返しがつかないほど出来の悪い映画だったと考えている.そしてそれは『スカイウォーカーの夜明け』を観て,久しぶりに胸が熱くなり,年末年始に実家でのんびりしているくらいならもう何度か劇場に観に行こうと浮足立っている今でも変わっていない.

『スカイウォーカーの夜明け』は3部作,ひいてはエピソード1『ファントム・メナス』からの9部作を,見事な形で完結させてくれた.それでも,『最後のジェダイ』からのリカバリーという意味では,前作が最低だったところから,もっともまともな線に戻すことができた,程度のものでしかないと考えている.『最後のジェダイ』の何がそこまで気に入らないのかについてはまた別の機会に書くとして,今回は純粋に『スカイウォーカーの夜明け』の感想を述べていきたい.ただし,シリーズものである以上,前作とのつながりには言及せざるを得ない.そのための前提として,『最後のジェダイ』に対して私は上記のような感想を抱いていることをご承知いただきたい.

 

※以降、ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

劇場に今作を観に行く前,私は気持ちの整理も込めて,下記のツイートを残していた.

 個人的には,以下の3つの疑問に答えない限り,物語として成立していないと考える.「スノークとは何者だったのか」「なぜ帝国の崩壊後にファーストオーダーが勢力をつけ,それに対し新共和国は何もできなかったのか」「結局,ルークとレン,レイの関係は何だったのか」 

この答え合わせという意味では,一応解答が得られたと思っている.

 「スノークとは何者だったのか」

パルパティーンによって,スノークの姿とカイロ・レンに聞こえていた彼の声は幻であったことが示された.

「なぜ帝国の崩壊後にファーストオーダーが勢力をつけ,それに対し新共和国は何もできなかったのか」

エンドアの戦い後もパルパティーンが生存しており(あるいは生き返って),陰でファーストオーダーを操っていたと思われる.ただし,新共和国がなぜファーストオーダーの勢力拡大を抑えられなかったのかは示されなかった.もっと言えば,新共和国とレジスタンスとの関係もよくわからないままであった.

「結局,ルークとレン,レイの関係は何だったのか」  

レイはパルパティーンの孫だった.つまり,カイロ・レンはジェダイ(スカイウォーカー家)の系譜上に生まれ,レイはシス(パルパティーン=ダース・シディアス)の血を引く者だった,つまり二人は対極の存在であった.そして,シスの末裔であるレイがジェダイを志してルークの弟子となり,ジェダイの一家に生まれ,ジェダイとなることを期待されて育ったカイロ・レンはフォースの暗黒面にとりつかれ,シスであろうと必死にもがき続ける.過去作品では一人の主人公の中に渦巻いていた善と悪の葛藤が,今回の3部作では二人の錯綜する人生を通して描かれている,と考えるべきだろう.

各3部作の主題

『新たなる希望』『帝国の逆襲』『ジェダイの帰還』

ルーク・スカイウォーカーを主人公とする『新たなる希望』『帝国の逆襲』『ジェダイの帰還』の3部作は,「家族の愛」がテーマであった.ルークの目線を通して,育ての親との死別,双子の妹の存在,実の父親との決闘,そして救済が描かれる.

ファントム・メナス』『クローンの攻撃』『シスの復讐

ファントム・メナス』『クローンの攻撃』『シスの復讐』は「師弟関係」「男女の愛」がテーマになっているというべきだろう.「選ばれし者」であると予言されたアナキン・スカイウォーカーと,彼を信頼し,たまには諫めることもありながらともに成長していくオビ=ワンの関係と,恋愛が禁止されているジェダイが,一人の女性を愛すること,そしてそれがもたらす悲劇が描かれる.

この3部作はスター・ウォーズファンの間では評判が悪いらしいが,銀河共和国が銀河帝国として生まれ変わるまでの変化を,アナキンとパドメの愛と絡めて描いたこの3作を,私は傑作だと思っている.

(もっとも,私がスター・ウォーズシリーズを見始めたのがこの3作がきっかけであり,「私にとってのスター・ウォーズ」がこの3作になってしまっているために,こう見えてしまっている可能性は捨てきれないのだが).

『フォースの覚醒』『最後のジェダイ』『スカイウォーカーの夜明け』 

そして,『フォースの覚醒』『最後のジェダイ』『スカイウォーカーの夜明け』では「個人の意志」がテーマとなっていると考えるべきだ.

上述の通り,レイはパルパティーンの孫にあたる存在だった.『フォースの覚醒』であれだけレイの出生には意味がありげな演出がなされていながら,『最後のジェダイ』では特に意味はなかったとあっさり否定されてしまった.しかし,今作でレイの両親はパルパティーンの子であり,レイをパルパティーンから守るために匿い続けたのだという説明がなされた.

人の一生が生まれにより決まってしまうのであれば,レイはシスとなる運命である.作中でも,シスの暗黒卿となった自身の姿と対峙するシーンがあった.それでも,彼女は高潔なジェダイであろうとした.

対して,ジェダイの家系に生まれたカイロ・レンは,ルークの手によってジェダイとなるための修業を受けていたが,心の中に暗黒面の陰りを見られ,ルークに殺されかけるという悲劇に見舞われる.シリーズの中でも波紋を呼んでいるこのシーンだが,これもパルパティーンが裏で手を引いていたと考えるべきだろう.

(レイアが『ベンが暗黒面に堕ちたのはスノークのせい』と語っていたが,そのスノークパルパティーンの映していた虚像であった以上,こう考えるより他ない)

ジェダイの子孫であったベンはシスとなろうとし,シスの子孫であったレイはジェダイとなろうとする.その思いは幾度となく衝突し,フォースによる精神世界での戦いだけでなく,実際に刃を交えた戦いも二人の運命の先にあった.そして,最後にはカイロ・レンの心には母・レイアと父・ハン・ソロの声が届き,暗黒面に堕ちることなく,レイとともにパルパティーンと対峙する.

パルパティーンは『シスの復讐』にて,「ダース・プレイガスは愛する者の命を救う力を身につけたが,自分の命を守ることはできなかった.あろうことか,弟子に殺されたのだ」と語っている.この弟子というのがパルパティーン本人であり,このときに不敵な笑みを浮かべていることから,パルパティーン自身はすでに死をも克服した存在となったことが示唆される.「私がシスのすべてである」という今作での台詞は,そのような意味まで含んでいると考えてもおかしくはないだろう.

そんなパルパティーンを前にして,レイとカイロ・レンは倒れてしまう.しかし,シスとして生まれたレイとジェダイとして生まれたカイロ・レンが心を一つにしたことで,表裏一体であったフォースのライト・サイドとダーク・サイドの力を身に込めたレイのライトセーバーは,パルパティーンが放つ雷をはね返した.そして,パルパティーンは『ジェダイの帰還』のラストで原子炉に落ちていったのとは違い,その身を滅ぼされるという意味での死を迎えた.これは,シスの暗黒卿が銀河から滅亡したことと同義である.

"The Rise of Skywalker"の意味

一度倒れたレイが立ち上がろうとするとき,過去に倒れていったジェダイたちの声が響き渡った.原題のタイトル”The Rise of Skywalker”の”Rise”には,「立ち上がる」という意味がある.スカイウォーカーとして,ジェダイとして,パルパティーンを倒そうと「立ち上がる」ことこそが,”The Rise of Skywalker”なのである. 邦題が発表されたとき,”Rise” を『夜明け』とした邦題にはじめは違和感を覚えた(”Dawn” であれば『夜明け』となる)が,今思うとよく考えられている.

今作のテーマ 

シスの子孫として生まれたレイは,スカイウォーカーの弟子となり,ジェダイとなり,自身のルーツでもあるシスの暗黒卿を倒そうとする.

スカイウォーカー家の子として生まれたベンは,疑心暗鬼からフォースの暗黒面へと墜落し,ダース・ベイダーと同じ道をたどろうとするが,実の父と母の思いに揺り動かされ,正義の道へと復帰する.

幼いころに誘拐され,兵士としての役割のみを求められてきたフィンは,自身の意志でファーストオーダーを離れ,自由のために戦う.

今回の3部作は,「自身が何者であろうとするのか』という意志によって,その人生が切り開かれることを示している.『シスの復讐』でパルパティーンは「運命に従っただけだ」という言葉でアナキンを暗黒面に引きずり込んだが,人が従うのは「運命」などではなく「自身の意志」である,というメッセージを,私は読み取った.

最後には,レイは自身の出生を受け入れながらも,「スカイウォーカー」を名乗った.これも,どのような生まれにあっても,自身がなろうとするものになれるのだ,なるべきだ,というテーマが込められていると考えられる.

『スカイウォーカーの夜明け』は,スター・ウォーズシリーズをこのような形で締めくくった.『最後のジェダイ』でどうなるかと思われた今回の3部作であったが,終わってみれば一つの物語として終着点にたどり着いている.「『こんなのはスター・ウォーズじゃない,こんなものが見たかったわけじゃない』といううるさいファンに迎合したせいで,いろんなものを無理に詰め込んだ映画になってしまった」と評する向きもあろうが,私はそうは思わない.『シスの復讐』を劇場に観に行った13歳の当時のように,心が躍る思いと,物語を最後まで見届けることができた充実感を与えてくれた.これが,私にとっての今回の3部作に対する思いである.

それでも,気になってしまったところ

このように,全般的に見れば『スカイウォーカーの夜明け』には満足している.しかし,それでも気になってしまう,もっと面白いものが見られたのではないか,と考えてしまう点があるので,それを書いておく.

 場面の移り変わりに強引さがある

パルパティーンがその基地を構えているのが,惑星エクセゴルであることが判明するが,その場所をたどるには「ウェイ・ファウンダー」が必要となる.その「ウェイ・ファウンダー」の場所を探す手がかりを探した結果,それはエンドアの戦いで敗れた帝国の最終兵器であったデススターの跡に残されていることがわかり,その残骸が沈んでいるケフ・バーへと,レイ,フィン,ポーが向かう.そこでレイとカイロ・レンの最終決戦の火ぶたが落とされる・・・という展開なのだが,ケフ・バーが登場する流れに違和感を覚えてしまう. 

「~するために,・・・する必要がある.そのために,・・・する必要がある」が何度もつながってしまった結果,ふと「これ,いま,何のために戦ってるんだっけ?」と思ってしまうことはよくある(『最後のジェダイ』の鍵破りを探す流れがまさにそうである).今作においても,オチの宇宙船から「ウェイ・ファウンダーの場所を示す刀が手に入るが,その文字を読み取るためには・・・」と,やたら遠回りな旅が始まってしまう.ファイナル・オーダーの攻撃が数時間後に迫っている,という緊迫感を,どうにもスポイルしてしまっているように思えてならない.

しかも,デススターの残骸から見つかったウェイ・ファウンダーはすぐに壊されてしまい,結局,物語で役割を果たしたのはカイロ・レンが持っていた片一方だけである.これでは,そもそもダース・シディアスダース・ベイダーのために二つ作られていたという設定も必要性を感じなくなってしまう.

さらに,ケフ・バーからレイはオク・トーに飛び立つが,あれほどまでにルークが隠そうとした彼の居場所に,あろうことか敵の宇宙船で向かうというレイの発想についていけなくなってしまった.過去に何度も,帝国やファーストオーダーに反乱軍やレジスタンスの居場所が見つかってしまい,痛い目を見てきているはずなのに,である.そのくせ,オク・トーから十年以上は海に沈んでいたであろうXウィング・ファイターで飛び立ったレイの居場所はすぐに探知でき,レジスタンスを率いる目印となっている点も整合性が取れていないと言わざるを得ない.ルークがフォースと一体の存在となってしまった今,彼の居場所などファーストオーダーにとってどうでもいいのかもしれないが.その割には,新しく登場した惑星も,過去作品に登場したコルサントやべスピン,カミーノ,ムスタファ―,スカリフのような個性があるものではなく,場面が変わったという印象を受けないのも物足りない点である.地球のような惑星であれば,どの場面も一つの惑星に存在していそうなレベルである.上述したケフ・バーも,大きく波がうなる海しか印象に残っていない.「違う惑星だから」という理由でどのような環境の多様性も表現できるせっかくの機会を,うまく活用できていないように思えてしまう.今までに見たこともないような世界を見せてもらえば,それこそ少年のような心に戻れたかもしれない.

重箱の隅をつつくような指摘になってしまうかもしれないが,要するに,「できるだけ多くの惑星を登場させよう」という制作側の意図が透けて見えてしまうところが,SFファンとしては残念なのだ. 

フォースの影響を拡大しすぎている

上述のケフ・バーの話にも通じるのだが,今回の3部作では,フォースによって心を通わせることができるだけではなく,身につけているものを奪う,物を瞬間移動させるといったことが可能になる場面がある.レイとカイロ・レンも何度となく精神世界で刃を交えていたため,ケフ・バーでの戦いでも,「これは本当に戦っているのか?」という疑念が生じてしまった.

テクノロジーの描き方が今一つ

上に書いた通り,フォースによってできることは過去作品に比べてどんどん増えていく.それに対して,この世界における科学技術の進歩がいまいち感じられないことも,SFファンとしては残念だった.帝国側はデススター→第2デススター→スターキラー→デストロイヤーと,惑星破壊兵器を恐ろしいスピードで進化させていくのだが,それに対する反乱軍側はまったくといっていいほど技術の進歩が感じられない.配備から70年以上が経過しているであろうR2-D2に未だに頼っているし,周りのドロイドもR2に比べて大して進歩していないようである.宇宙船もヤヴィンの戦いの頃からの進化が感じられないし,パンフレットによれば今作に登場した「タンティヴⅣに似た宇宙船」はタンティヴⅣそのものであるという.作戦基地も数十年の間開発が全く進んでいないようである.相変わらず,レジスタンスの宇宙船や兵器はすすけた,あか抜けないものばかりだ.

惑星パサーナでのスピーダーチェイスのシーンは,どこか『ファントム・メナス』のタトゥイーンでのポッドレースを彷彿とさせるものだった.しかし,時系列的には60年近く前に開催されていたポッドレースが,通常の人間にはついていけない速さであるとの設定の通り,一つのミスが即死につながりそうな,狂ったようなスピード感にあふれていたのに対し,今回のチェイスシーンは鈍重で緊張感にかけるものだった(競技としてのレースと,戦闘とでは全く異なるのは理解ができるのだが).

ブレードランナー』と対照的な時間の描き方

別の映画の話を持ち出すが,『ブレードランナー2049』が『ブレードランナー』から30年後の世界を見事に描き出したのとは対照的である.旧作で「人間との見分けがつかない」ことが問題となったアンドロイドについては対処がされているし,あれだけの問題製品を世に出したタイレル社はとっくにたたまれているし,食糧危機という新たな問題も顕在化している.かつては追われる身であったアンドロイドが,旧型のアンドロイドを駆逐する役割を担っているほど,世界が変化しているのである. 

これも先ほどの「旧作のファンがうるさい問題」に帰着してしまうのかもしれないが,旧作の延長上にある物語にとどまってしまっているのが残念である.せっかく,新しい登場人物で,前作から30年以上が経過した世界が描かれるのだから,もっと新しく,今までに見たこともないようなものを観たい,と期待していた私は,スター・ウォーズファンとしてはわがまますぎるのだろうか.

最後に

以上のように,少し言いたいことが出てきてしまったが,それも作品そのものを楽しむことができたからこそ,空想上の物語にさらに空想を重ねてしまうのだ.つまらないものを見せられても,もっとこうだったら,こんなものが見られたら,と願ってしまうことなどないだろう.結論を言えば,『スカイウォーカーの夜明け』は壮大な物語によく終止符を打ってくれた.『最後のジェダイ』を観てからの約2年間のもやもやも,これですっきりした.スター・ウォーズの正史がこれで終わってしまうのはさみしい限りだが,過去を振り返ってばかりいるのではなく,自分はどうなりたいのか?を考え,そのための未来に向かって立ち上がることが大事なのだと,今作が教えてくれた.会社員となって数年が経過し,将来のこと,自分の役割のことをぼんやりと考えてしまうこの時期に,スター・ウォーズの完結作を劇場で観られたことは,人生で忘れない思い出となることだろう.